職業 魔法使い

菊衣千花いうPNで、女性向けアプリゲームのライターをしています。執筆履歴を残すために作ったブログですが、時々とりとめのないことも呟きます。

陽炎稲妻水の月

「くそ、本当にすばしっこいなあ」

 

息を切らせながら沖田はきょろきょろと周りを見まわした。

つい先ほどまで桂は沖田の目の前を走っていたが、逃げの小五郎の異名は伊達ではないらしい、あっという間に撒かれてしまった。

もともと小路の多い京の町は、逃げる方に有利だが、追う方には都合が悪い。毎日のように続けられる攘夷志士との鬼ごっこは、今日もどうやら志士の方に軍配が上がったようだ。



「総司、いたか」

 

「いいえ。逃げられました。」

 

後から追いついてきた土方に、沖田は残念そうに肩をすくめながら言った。

 

「いやあ、速い速い。さすがですよ。」

 

「陽炎稲妻水の月ってやつだな。あの速さじゃ触れもしねぇ」

 

土方は舌打ちをひとつすると、乾いた唇を指先で拭った。随分な距離を走ったせいか、喉がかすかに痛む。

大きく呼吸を繰り返して、平時より大きく鼓動する心の臓を落ち着かせようと図ると、土方の隣で沖田もまた、大きく肩を上下させながら呼吸を整えていた。

小路のあちらこちらでは、桂を探す隊士たちの声がするが、俊足である沖田が追いつけなかったのだから、もうここにはいないかもしれない。

土方はため息をついて、空を仰いだ。上弦の月が美しい、夏の夜だ。あちらこちらから虫の声がする。



「おい、引き上げるぞ。そこらで桂を探してる奴等にも伝えな。」

 

土方はしばらく空を仰いでから、ため息を一つ吐いた。そして視線をぐるりと巡らせると、近くにいた隊士を捕まえて撤収の指示をする。小路からぽつりぽつりと隊士たちが姿を見せ始めたのを確認すると、土方は踵を返した。

 

「そう落ち込むなよ。簡単には捕まえられねぇさ。」

 

逃げられたのが悔しいのか、足の速さで負けたのが悔しいのか、黙り込む沖田の背中を、土方は軽く二、三度叩いた。沖田は不満げなまま、大きくため息をついたけれど、土方はそんな沖田を見下ろしながら笑う。

 

「鬼ごっこは長期戦の方が楽しい。そう思わねぇか?



沖田は土方の言葉に僅かに目を見開いた。そして桂が逃げた方向をじっと見つめながら、次に彼と邂逅する時の事を思った。

 

「土方さんが変なこと言うから、興奮してきたじゃないですか」

 

沖田の瞳が、真っ暗な夜道の前を強く見つめる。口元に僅かに浮かんだ微笑みは、新しい遊びを覚えた子供のように邪気のないものだった。

 

「次は、絶対に。」

 

腰に差した刀をぎゅっと握りしめながら沖田は屯所への道をゆっくりと歩き始めた。

虫の声が耳鳴りのように、ずっと頭の中で響いていた。