職業 魔法使い

菊衣千花いうPNで、女性向けアプリゲームのライターをしています。執筆履歴を残すために作ったブログですが、時々とりとめのないことも呟きます。

チェス擬人化・落書き供養。2012年

図書室の灯りが消されることがない夜。そういう日は決まって彼がお気に入りの書物に齧りつき、あらゆる人払いをしているのだ。
ただでさえ気候の温暖でないこの国で、厚着もせずに一晩を過ごすというのは酷く体に負担をかける。丈夫で病気を知らない屈強な男でさえも不調を訴えてしまうような冷え込む夜を、けして体の強くない彼が過ごそうとすれば結果など分かりきっている。
それでも彼は時折こうやって一人で図書室に篭ってはまるでとり憑かれたかのように書物をひとりで紐解き続ける。
それはもしかすると普通の人間が食事をし、睡眠をとる欲求と同じで、彼にとっては必要不可欠な生理的現象にも思われた。だからといって、彼が体を壊すのを甘んじて見過ごすことは出来ず、こうして私は毎回彼の無謀な夜更かしを止めに行くのだけれど。

「身体を壊しますよ、陛下」
大理石の床と石造りの壁。国有の書庫とあって広大な面積を誇るその中で一人、彼は膝掛けひとつも掛けずに積み上げた本を消化していた。顔を上げた彼の黒い瞳には手元のランプの光が写り込んでまるで黒い水晶に炎が灯ったかのように見える。美しいけれど、人をけして寄せ付けない……それは私には孤高の宝石のようにも思えた。
「エル、か」
小さな声で確かめるように名前を呼ばれて返事をすると、彼はひとつ深い溜息をつき、それから小さく微笑んだ。
ゆっくりと手元の本を閉じると自分の息で氷のように冷えた指先を温め、彼は今更のように寒さを口にする。
「随分冷えるな」
「ええ、凍ってしまっているのではと心配しました」
手元にあった厚手の上着を彼の肩にかけると、彼の身体が小さく震えていることに気づき思わずため息が出る。
「震えるほど寒いというのに貴方は本を読んでいると全く気付かない」
「悪かったよ、こればっかりは癖なんだ」
席から立ち上がろうと彼が机に手を付いた時、彼の身体が僅かに傾いで、慌てて私は彼の身体を支えた。
「全く…脚が痛むのにも気づかなかったのですか」
「はは、すまない。今夜は暖かくして眠るよ、大人しくね」
彼は私の胸元に手をついて身体を支え直すと、ゆっくりとした速度で部屋への道を辿りはじめる。
「すぐに追いつきますから、転ばないでくださいよ、陛下」
「子供じゃないんだがなあ」
わかったよ、エル。
そう笑って歩き始めた彼の後ろ姿を見つめながら、私は机の上に残された数冊の本を手にとった。
この本を棚に返して彼を早く追いかけなければ。

「兄のくせに、心配ばかりかけるんですから」