職業 魔法使い

菊衣千花いうPNで、女性向けアプリゲームのライターをしています。執筆履歴を残すために作ったブログですが、時々とりとめのないことも呟きます。

【小説】King【チェス擬人化】

・チェス駒を擬人化した場合。

クイーン駒とキング駒は普通に考えれば夫婦なのだろうけれど、もしも彼らが兄弟だったら、その性能差にキングは絶望するのではないか。と思って。

劣っているほうが王位についてしまう絶望は、計り知れない。

 

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どうしてあんなに頭の良い人から、俺のような出来損ないが生まれたのか、幼い時はそれが不思議で不思議でたまらなかった

俺、ヴィルフリート・エーベルヴァインの父であり、この国の王であったエルンスト・エーベルヴァインは、賢王としてその名を知られる所謂インテリだった。
彼は、俺が生まれて言葉を話すようになるとすぐに子守歌代わりに帝王学の本を読み聞かせたというし、遊び相手をする時も政治の話を欠かさなかったという。知識に対して非常に貪欲で、優秀であることに異常なほど執着をする人だった。
一方の俺は非常に鈍感で、帝王学政治学に関してはからっきしだった。俺の齢が十になる頃までずっと父は俺を次代の王にしようと考え、力強く指導を続けていたが、十歳を二年も過ぎた頃、ぱったりと俺に期待の言葉を投げかけなくなった。 俺も最初は辛い勉強と修行から逃れられると喜んでいたが、父が俺に興味を失くした原因を聞きつけて背中が凍りつくような感覚を知った。

 


            

母親の違う優秀な弟がいる。


            

彼は俺よりも六つ年下で、身分の低い女を母に持っていた。
しかし、非常に聡明で機知に富み、人を惹きつけるだけの容姿も備えていたため、父の目に止まり、王室に召還されるというのだ。彼の母親であるエルザはもう随分前にこの世を去り、弟『エルネスト』は長い間老いた彼の祖母や祖父と暮らしてきたという。
王の御落胤が城へ戻ってくる。噂はあっという間に城中に広まって、何時もは荘厳な王室サロンも俄かに騒がしくなった。思えばあの時から、何かが壊れていったのだと、思う。

 

 

 

初めてエルネストを見たのはいつだっただろう。酷く冷え込んだ日の夜半だったような気がする。             

エルネストが来てから、父は俺と母に対して一切の興味を示さなくなり、時折俺の顔を見ては侮蔑するような態度を露わにするようになった。
そして、父の俺に対しての軽蔑の情が、驚く程冷たい言葉と狂気的と感じるほど強い折檻を含むようになるまで時間はそうかからなかった。
父がなぜ、俺にそこまで執着を示すのか。初めは全く分からなかった。
しかし、ヒステリックな言葉と暴行を浴びているうちにふと俺は思いあたった。彼は俺の容姿が非常に憎いのだと。
そうだ、彼は俺と顔を合わせるたびに忌々しそうにその顔を殴りつけた。執拗なまでに髪を引き、頬を叩くので、いつの間にか俺は、王に手を伸ばされると顔を庇う癖がついていた。
優秀なエルネストはけして父に似ているとは言えず、愚図な俺ばかりがその容姿を引き継いだ。
ああ、そうか。父は、自分の姿を写し取ったような俺が、平民との子であるエルネストに敗北することが許せなかったのか。彼は、とても完璧主義な人間であったから。
そういえばエルネストと出会った夜もたしか、あらゆる限りの罵倒と暴力を受け痛む体を引き摺りながら部屋に戻った記憶がある。

そうだ、あの日。ずるずると壁に凭れかかりながら歩く俺を、初めて会った弟は不思議そうな眼で見つめていた。
廊下の向こうから現れた彼は、手に銀の燭台を持っていて、深夜だというのに何処かへ行く風だった。綺麗な長い髪をしていて、まだあどけない瞳が動揺したようにゆらゆらと揺らめいていて綺麗だと思ったのを俺はしっかり覚えている。

「図書館にでも、行くのか?」

静まり返った廊下に、俺の掠れた声が思いの外大きく響いた。エルネストはびくり、と体を震わせて小さく首を縦に振ると、言葉を探るかのように唇を動かした。
話しかけられることをまるで想定していなかったのか、僅かに頬が赤くひどく緊張しているようだった。小さな唇と白くて細い指先がかすかに震えていた。
「あそこは寒いから、風邪ひかないようにな。」

俺はエルネストが何か言いかけたのを遮るかのようにそれだけを告げるとまたずるずると廊下を歩き始めた。かつん、かつん、と靴の底が冷たく大理石の床を叩く。酷く孤独な夜だった。

 

あの日の彼との一瞬の邂逅は、俺の心に恐ろしい程の絶望と孤独を与えた。
エルネストが醜い人間だったなら、恐れを知らないような傲慢な人間だったなら、俺はもっと平静でいられたし、きっとこうやって嫉妬で狂いそうになることもなかったはずだ。
だが俺は彼との一瞬の邂逅で、気付いてしまったのだ。彼が、けして、自らこの場所を望んでやってきたのではないこと、突然現れた父に溺れるほどの愛を注がれ戸惑っていること、誰一人信頼できる人間がおらず、俺と同じで孤独にさまよっていること。
そう、立場は違えど、エルネストは俺と同じだった。同じだからこそ、「何故彼ではなく自分が父に愛されなかったのだろうか」という気持ちばかりが俺の中から溢れ出て、止まらなかった。エルネストが憎い。父に愛されながら、あんなに苦しそうな顔をするなんて、狡い。俺は、こんなにも彼が注がれているものを渇望しているのに。
ああどうして、俺は父の望むものになれなかったのだろう。痛む体を抱き締めて目を閉じると、耳の奥に父の罵声が聞こえた気がした。愛される想像すらももう出来なくなっているのかと思うと切なくて、瞑った目の端から堪えきれない涙の雫が一粒だけ零れ落ちた。


俺の母親のリウィッラという人は、とても美しく気位の高い人だった。彼女は元々貴族の出身で、父であるエルンスト・エーベルヴァインに心底陶酔していた。
王は平民や貴族と違い、何人もの妻を娶ることを許されていたが、父は母の他に妻を娶ることはしなかった。小さい頃の俺は、父が母を愛していたからそうしたのだと信じていたが、 今では面倒事を避けるための彼なりの考慮だったのではないかと思っている。
妻を多く取れば子供の中から優秀なものを選び出し、次の王座へ就かせることができる。しかし、そこには様々な覇権争いが発生し、王宮の中は乱れ、秩序は破壊される。
たった一人の王を生み出すために優秀な家臣や騎士を何人も手放すのは惜しく、国家にとっての不利益になる。それならば初めから争いの芽を摘み、生まれてきたたった一人の子供を優秀に育てる方が容易い。
エルンスト・エーベルヴァインという人はひどく合理的な人間だったからきっとそうして、俺に国の未来を託したかったのだと思う。


けれど、優秀な彼の思惑は、思わぬ形で外れてしまった。
楽器も、ダンスも、作法も、哲学も難なくこなすことが出来る唯一の実子は、政に関する能力だけが恐ろしく劣っていた。戦術論、統治論、弁論に外交論。何度教えられても理解しない我が子に、 父は大きな失望を覚えたに違いない。あっという間に彼は息子に見切りをつけ、一から自分の計画をやり直すことにした。 全く違う場所、条件で子供を作り、育てることにしたのである。


父が俺達の元を訪れなくなって、母は恐ろしい程に人が変わってしまった。 いつも女神のように微笑んでいたその顔は、涙と怒りの形を交互に表し、鈴が鳴るように美しかった声は、やがて見ず知らずの弟とその母へ呪いの言葉を吐くようになった。
母は時折俺の顔を見ては縋りつくように許しを乞うた。その時の彼女は父に良く似た俺の顔を、父と錯覚しているようで、ぎゅっと俺の手を握りしめて、毎回こう言った。

「どうして、あんな子が生まれてしまったのかしら。わたしと、優秀なあなたの子供なのに。」


母は、少しずつ狂気を孕んでいって、いつしか全く笑わなくなった。
父の側近や近しい貴族たちは母の耳に弟の噂や動向がなるべく届かないようにと、母を出来るだけ王宮の奥へ奥へと隠し、俺もそれに従った。
隠された母と俺は、まるで囚人のようだった。訪れる人もなく、限られた情報と限られた行動範囲を往復する日々。 それは母の心に生まれた軋みを少しだけ和らげたが、けして消し去ることはできなかった。回復することもなく、悪化することもない。腐るような毎日だった。
しかし、そんな日々にも終わりがやってきた。母の耳に、ずっと隠し続けてきた弟の情報が届いてしまったのだった。
母はその日、鳴き叫びながら弟の名を呼んでいた。長い絹のような黒髪は乱れ、美しい瞳は真っ赤に染まり、血を吐くような声で、呪いの言葉を紡いだ。 『エルネスト…エルネスト…あんな子供に自分と良く似た名前を授けるなんて!!!』

怒りと悲しみに狂う母のその言葉を聞いて、俺はやっと理解した。もう、父は戻ってこない。本当に俺ではなく弟を選んだのだと。
頭の中が真っ白になって、どうして自分が生まれてきたのかずっと心の奥底に持ち続けてきたその疑問が一気に俺の表面に現れた。動揺しているはずなのに、頭はなぜかクリアで、落ちついていた。
ヒステリックな叫び声を聞いて部屋の入り口で呆然と立ち尽くしていた俺と、泣きじゃくっていた母の目が合った。
ぞくっ、と背筋が凍るような感覚がした。おかしい、この人は俺の母親なのに何故、怖いと思うのだろう。
互いの呼吸の音が聞こえてしまいそうなほど、しんとした部屋の中、母が、『ヴィルフリート』と俺の名前を呼んで笑った。
父が去ってから笑うことをやめたとはいえ、彼女は、こんなに恐ろしい顔で笑っていただろうか。そっと抱きしめられながら、優しく頭を撫でられると、体が少しだけ震えた。

『あなたが、王様になるの。あんな平民の子供に負けちゃ駄目よ。貴方は正統な、後継者なのだから。
そうよ、貴方のその容姿はあの人にそっくりだもの。あんな、みすぼらしい子供とは、違うわ。わたしの、ヴィルフリート。わたしに、あの人をかえしてちょうだい。』


首筋から頬にかけて這わされた母の冷たい指先に、俺はゆっくり自分の手のひらを重ねた。冷たく細い指先が、可哀そうなほどに震えていた。
ただ純粋に父を愛しているこの人を、俺は何故恐ろしいと思ったのだろう。 ゆっくり、母の体を抱きしめた。まだ成長しきっていない自分の体では母親の身体を包みこむことは出来なくて、それが少しだけもどかしかった。
『大丈夫だよ、かあさん。絶対に、負けないよ』
俺はゆっくり目を閉じて、そっと自分の未来を思い描いた。今、俺が彼女の為にしてあげられることの精一杯はけして俺にとっては明るいものではなかったけれど、彼女がそれで救われるのならば、 それでもいいと、この時の俺は思えた。