シナリオライター6年生②
仕事でたくさんの人と関わるのに疲れてしまって、なにげなく書いた3000字の課題シナリオ。
正直、あの時は未経験の私の課題が誰かの目にとまるなんてまったく思ってもみなかった。
それでもシナリオを書いたのは、大学時代から心の奥底にあった「クリエイター」への憧れを断ち切るためでもあったし、これがダメなら腹を決めて今の仕事に打ち込もうと、私はそう決めていた。
けれど、まあ…なんの手違いなのか、私はシナリオライターになった。
意外と退職手続きはすんなりと済み、大好きだった同僚や上司とさよならをした。
激務だったが、本当に厳しさと優しさで出来たいい人ばかりで、少しだけ「本当にいいのかな」とも思った。
でも、同時に…鉄道のプロとして第一線で生きているこの人たちと、同じくらい輝ける、文字のプロになろうとも思った。
向き不向きで言えば、私は鉄道の仕事には向いていなくて、プロになれる自信がなかったのだ。
そこからの3年はがむしゃらで、とにかく失敗しては修正を繰り返し…細かいことは正直なところよく覚えていない。
自分の力が足りなくてコンテンツがサービス終了に追い込まれたことも何度もあるし、締め切りの日に一文字もシナリオが上がってこないなんてこともあった。
納品遅延や障害なんて日常茶飯時、クローズだって他人事ではない。
当初私が考えていたよりも、ゲームの現場にもアクシデントは多かったと思う。
ただ、どんなアクシデントに見舞われても私は「現場で人が死なないだけ、ゲームの業界は楽だ」と強く思ったし、実際それで乗り切れた。
障害で真っ青になる企画やエンジニアさんに「大丈夫、バグで人は死なない」とよく言っていた時期もある。でも、正直そうなのだ。上司やお客様に怒られることはあっても、自分の仕事が人を直接殺してしまうことはない。
遅刻する夢で飛び起きたり、券売機の異常を知らせるブザーの音がフラッシュバックして目を覚ますことも二年目あたりからはなくなって、精神的な安定を私は手に入れた。
けれど、常に「アクシデント」の中に身を置いていた私は、刺激のない毎日に正直、物足りなさも感じていたし、このままではいけないとも思っていたのだ。